寄付という行為
寄付は
意識の高さを表す。
思いやりの深さを表す。
人の価値を表す。
と思う。
どんなに収入が少なくても寄付をする人はするし、
会社の社長をやっていてもしない人はしない。
お金が溜まったらする
お金持ちになったらする
今は生活するのでいっぱいだから
なんて言うことを言う人は、一生とても利他的な寄付という行為はできないんだろうなと思う。
日本に住んでいる成人の多くは、余剰金を持っている。
他の国に比べて全体的に生活は豊かだし、たくさんのものを持っている。
無駄だろうと思うものも、大して使わないものもなんでも持っている。
旅行にも行く。
週に1回位は外食する。(日本の外食は東南アジアのように安くはない)
そんな人の収入を聞いたり勤めている会社を聞くと、どう考えても貧困ではない。
でも、お金ないからって言う。
日本のNPO、NGOは効果のある活動をしている団体でもお金が無い。
とくに国内の問題に取り組む団体はお金がない。
さらにとくに、企業や国への客観性があり、厳しい指摘をする団体はお金がない。
解決に近く、効果的であるにも関わらず、企業寄付がのぞみにくいからだ。
子供の支援、特に遠くの子供の支援、残酷な盲導犬などの動物利用は、寄付が集まる。
1000の苦しみは無視し、1の苦しみ、0.1の苦しみだけを救おうとするのはおろかだ。
そのときに判断するのは、いかに多くの根本的な解決をしているか、具体的な効果はどの程度か、だ。
1000のうちの1だけを助けようとするような団体の評価は低い。
苦しみをまじで減らしている団体はどこか、
ちゃんと判断できる能力を持とう。